Contents
- 1 The WEX オーナーMASAJI インタビュー
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- 2.0.0.1 Q : 先ずは苦楽園に行き着いてアイリッシュパブをはじめた経緯をお聞きしたいのですが…まずキャラクターをお伝えしたいので学生時代の話ぐらいからお聞かせ願いますか?
- 2.0.0.2 Q : 具体的にはどんな国に行かれてどんな思い出がありますか?
- 2.0.0.3 Q : なぜヨーロッパが好きなのですか?
- 2.0.0.4 Q : そのあとアジアに?
- 2.0.0.5 Q : 学生時代が終わってから今まで何回ぐらい海外へ行かれているんですか?
- 2.0.0.6 Q : 何才ぐらいの時に日本に帰られたのですか?
- 2.0.0.7 Q : 旅していた時期があって、その後はどんな暮らしをしていたのですか?
- 2.0.0.8 Q : で、苦楽園でその、「大道芸人の仕事」をする、と?
- 2.0.0.9 Q : そして、そこの会社で働きながら、次は何をするんですか?
- 2.0.0.10 Q : そしてそのサーカスの仕事は終わるんですよね?
- 2.0.0.11 Q : それはまた仕事のアテとかあったんですか?
- 2.0.0.12 Q : そして? いよいよ、このWEX に話はつながるのかな?
- 2.0.0.13 Q : なるほど。それでこの店を引き継ぐことになった、と。でも引き継ぐとは言え店の名前も変わっていますし、マサジさんがオーナーとしてやっていくと言うことになったわけですよね?
- 2.0.0.14 Q : それで苦楽園にアイリッシュパブを。
- 2.0.0.15 Q : いまオープンして数ヶ月が経ちましたが、現状のWEX はどんな感じで盛り上がっているのでしょうか?
- 2.0.0.16 Q : イベント以外はどういった感じですか?
- 2.0.0.17 Q : なるほど。では、どんな人に苦楽園のアイリッシュパブWEXは向いていると思いますか?
- 2.0.0.18 Q : 最後にWEXからのメッセージを。
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The WEX オーナーMASAJI インタビュー
Q : 先ずは苦楽園に行き着いてアイリッシュパブをはじめた経緯をお聞きしたいのですが…まずキャラクターをお伝えしたいので学生時代の話ぐらいからお聞かせ願いますか?
MASAJI : 出身は大阪でいわゆる関西人なのですが、東京の美術大学で絵画を勉強していました。在学中から旅行に興味があって、何度か欧州、イギリスなどに行ったことはありましたが、大学卒業後に関西に戻ってからはアジア方面へ旅行に行くことが結構多くなりました。
Q : 具体的にはどんな国に行かれてどんな思い出がありますか?
MASAJI : 学生時代は欧州で美術館巡りですね。オランダ、フランス、スペインetc… やはりヨーロッパが好きでしたねえ。オランダのアムステルダムでは運河に浮かぶ船に住む人と知り合いになって一週間くらい船の上で滞在したり、スペインからジブラルタル海峡を渡ってモロッコまで足を伸ばして、タンジェの街で知り合ったモロッコ人の家に、自分が持っていたソニーのラジカセを家賃の代わりにして、半ばホームステイのように滞在したこともありました。当時は英語も喋れない僕を、見知らぬ人が家に招待してくれたり泊めてくれたりして、どこの国でもえらく親切にしてもらった思い出があります。
Q : なぜヨーロッパが好きなのですか?
MASAJI : 歴史と文化ですかね(笑)油絵を勉強していましたので、主に美術館や博物館に行っていました。
Q : そのあとアジアに?
MASAJI : インドには長い間行きたいと思っていたのです。大学を卒業して関西に戻って、ちょっと働いたりしていたのですが、どうしてもフツフツを湧き上がる「インドに行かねば!」という思いがありまして…で、まあ行ったわけです。すると旅が止まらなくなってしまって、タイ、マレーシア、インドネシアetc.. 2~3年ぐらい?アジア各地をしばらく放浪していました。
Q : 学生時代が終わってから今まで何回ぐらい海外へ行かれているんですか?
MASAJI : 重点的には4~5年?は結構出たり入ったりしていましたね。で、旅先で恋なんかに落ちたりして(笑)ドイツに沈没?したりして… アジアを旅行していたのですが、旅先で知り合った人を訪ねたりしているうち、やっぱりヨーロッパになっちゃった。
Q : 何才ぐらいの時に日本に帰られたのですか?
MASAJI : 26~7才の時に一度日本に帰って来たんですけど住むところがなくて…でもラッキーなことに、(亡くなった)祖母の家がずーっと何年も空き家になっていたので、そこに住まわせてくれ、ということで家族に相談して、掃除をして住み始めました。
で結構広い家だったので今で言うところのシェアハウスみたいな感じで、当時大阪には世界各地からやってくる大道芸人、ジャグリングやなんかをストリートで行う旅芸人?がたくさんいたんですが、なぜかその人たちの間で口コミが広がって、次々と外国からの大道芸人がウチに住むようになりまして。色んな国から…イギリス、スペイン、イタリア、ドイツ、スリランカ… かなり多国籍な雰囲気の家になっていましたね(笑)。で、民泊のはしり?の様なカタチでその人たちからチョット滞在の家賃をもらったりしてそのお金で自分自身もアジア旅行を続けていた時期があります。
Q : 旅していた時期があって、その後はどんな暮らしをしていたのですか?
MASAJI : シティボーイだったんで(笑)自分は都会が好きだ、と思い込んでいたのですが、世界中のいろんな国を旅行してみて、やっぱり空気のキレイな、緑のある場所に住むのが良いんじゃないかなあ?と思い始めていた時、住んでいた家に集まっていた 外国人の大道芸人たちの「元締め」みたいな、エージェンシーをやっている人物がいると知りまして、そしてある時その方から電話があって「君は大道芸人をいっぱい知っているね?」となって…それはアメリカ人がやっている所謂イベント会社だったんですけど、そこから仕事を貰うようになりました。
僕はその時、ドミニカ共和国からやって来たミュージシャンとバンドを組んでいて…まあその間にニューヨークやカリブ海に渡って音楽活動をしていて、旅はまだ続いていたのでチョットややこしいんですが(笑)、まあミュージシャンなんてやっているとお金がないわけですからバイトをしないといけない、と言うことで。ある日そのイベント会社の人に事務所にも一度遊びに来ないか?と声をかけていただいて。当時自分は大阪に住んでいたのですが、訪ねて行ったその事務所のある場所、それが苦楽園だったのです。
苦楽園は初めて来た時から気に入って。僕が漠然と、空気の綺麗な、山の見える、川の流れる、処が良いなあとイメージしていた感じにぴったりだったので、初めて来た時からすごく好きになりました。そしてまあ引っ越して来たわけです。
Q : で、苦楽園でその、「大道芸人の仕事」をする、と?
MASAJI : そうです。昔、樋之池公園の前あたりに古い路面電車を置いてそこをレストランにしている店があったんです、その店の裏にその大道芸人のエージェンシー事務所があったんですけど。まあそこで働くことになったんです、それが苦楽園の始まりですね。
Q : そして、そこの会社で働きながら、次は何をするんですか?
MASAJI : ずっとそこで働いていたんですが、それと同時にFMラジオ局でアルバイトもしていました。音楽が好きだったので音楽活動を続けていきたかったのですが、なかなか… エンターテイメントの世界としてはいろんなイベントをやらせてもらって、最終的にはサーカスの仕事に。国際的に有名なカナダのサーカス会社があるんですけど、そこのサーカスが日本公演に来て、ツアーで全国を廻るときに仕事のできる人を募集していたのです。で、その仕事に就いて、東京、仙台、名古屋、大阪、福岡、とサーカスですから各地に3ヶ月くらい滞在してゆくツアー ショウをふたつやりました。それでまあ3-4年、日本全国をうろうろしていました。
Q : そしてそのサーカスの仕事は終わるんですよね?
MASAJI : そうですね、その時は関東に住んでいたのですが、地震とか…諸々の事情も含めて結局、また関西に帰ってきたいなあ、と思って。でもまあ故郷の大阪ではなく、住み慣れた苦楽園が良かったので、また帰ってきました。
Q : それはまた仕事のアテとかあったんですか?
MASAJI : ないんですねえ、それが(笑)で、まあ、全く新しい仕事ということで介護福祉士の資格をとりまして、武庫川のほうで、知的障害の人達と一緒に畑を耕したり。生活支援員としてハンディキャップを持つ方々と生活するグループホームで4年くらい働きました。
Q : そして? いよいよ、このWEX に話はつながるのかな?
MASAJI : はい、苦楽園ではもともと外国人BARとして小さなWEXがありまして、僕はその頃からのお客でしたし、このWEXもお客さんとしてよく行くお店だったんですよ。サーカスの仕事でしばらく苦楽園を離れていたんですが、久しぶりに帰って来て、また行くようになっていたんです。ところがある日、オーナーからやめるというハナシを突然に聞いて。え、なくなるの?このお店好きやったのに、と思って。どおなるの?て聞いたら、次にやってくれる人が見つからなかったら完全になくなる、って言うので。待てよ?それなら僕がやってみようかな、って思いました、そこからですね。
Q : なるほど。それでこの店を引き継ぐことになった、と。でも引き継ぐとは言え店の名前も変わっていますし、マサジさんがオーナーとしてやっていくと言うことになったわけですよね?
MASAJI : まあそれ以前にまずアイルランドの事には興味を持っていて、イベント会社とラジオ局で働いていた頃にもアイルランドへは1ヶ月ほど遊びに行ったことがあったんです。ここのお店で知り合ったアイルランド人の友達を訪ねて。ダブリンの人だったんですけど。で、アイルランドのパブはイイな!と(笑)本当に自然に近所の人が集まって、毎日毎日。リビングルームっていうか。地元の人たちを見ながら、ああこれはアイルランドの文化だな、と思いました。で「アイリッシュ パブ」というそのスタイル、老若男女いろんな人がいるし、地元の人が集まっておしゃべりしているその感じは良いなあ、と思ったんです。
Q : それで苦楽園にアイリッシュパブを。
MASAJI : 前のオーナーがやめた後に、いろんなカタチが考えられたと思うのですが僕はまあ…このまんまで(笑)「アイリッシュ パブ」として続けていけたら、と思っています。
Q : いまオープンして数ヶ月が経ちましたが、現状のWEX はどんな感じで盛り上がっているのでしょうか?
MASAJI : いままでの人脈?というか、音楽が好きなのでミュージシャンの知り合いが色々いて、順番に演奏してもらっています。やはり生演奏を聞くのは楽しいですね。今のところ毎週金曜日をライブ音楽の日に設定しています。できるだけノーチャージで、普通のお客さんにも生演奏を楽しんで欲しいなあと思ってイベントを企画しています。
Q : イベント以外はどういった感じですか?
MASAJI : お酒はもちろん!ね? 生ビールはギネス、エビス。六甲山も見えますから地ビールとして六甲ビールも置いています。まああんまりオシャレなカクテルとかはないんですけど、生ビールサーバーも手入れしながら、ちゃんとしたお酒を出せるように努力しています。
Q : なるほど。では、どんな人に苦楽園のアイリッシュパブWEXは向いていると思いますか?
MASAJI : 土地柄、やっぱり地元の人が多いと思うんです。年配の方とか色んな…お仕事をリタイアされてからも、まだまだ好奇心旺盛で楽しく人生を送りたい、と思っている方とか。やっぱり音楽なんかを通じて…結構いてるんですよね年配の方で、昔ジャズを演っていたんだよ、とか、ハワイアンが好きでねえ、とか。で、まあ色んな趣味を持っている方もいらっしゃいますよね?そういった方々にゆっくりしにきてもらって自分の楽しい時間を過ごしてもらえたらなあ、と。もちろん若い人もいっぱい来ますし。苦楽園はやっぱり主婦層?ファミリー。うちには奥の部屋もありますし、子供を連れて来ても安心して 飲んでいられるので、幅広い年齢層の方々にご来店いだだきたいなあ、と思っています。
Q : 最後にWEXからのメッセージを。
MASAJI : 苦楽園口のすぐ駅前にあります。 駅を降りて一番手っ取り早くビールが飲めるお店です!2階にあるんで入り口ちょっと入りづらいなあと思う方いらっしゃるかもしれませんけど、店内広いですし、明るい感じで、楽しいスタッフもお待ちしております。外国に興味のある方なんかは、WEXには外国人のお客さんも多いので、すぐ友達になれますよ!楽しいお店にしたいと思っています。いつでもお気軽にお越しくださ〜い。